大阪の京橋・鶴見区で整体/鍼灸をお探しなら「トータルボディーケア整体院」

院長:山田 訓久(やまだ くにひさ)院長

<保有資格・経歴>

柔道整復師・鍼師・灸師・整体師・機能訓練指導員・ノルディックウォーク公認指導員

トータル ボディーケア 整体院は、大阪の鶴見区にオープンして17年目になります。以前は『鶴見みなみ整骨院』として10年ほど地域医療に貢献してまいりましたが、整骨院の特性上、急なケガのみの対応しかできないという保険の縛りの中から、もっと多くの人のカラダや悩みに寄り添いたいという想いから、一部名称変更しました。
また、2019年6月には遠くから来院される方が多くなってきたため、交通の便の良い「京橋」に分院を開院いたしました。
 

 

ご挨拶

初めまして。トータルボディーケア整体院 院長の山田訓久です。
私は大阪市鶴見区で生まれ育ち、その地元で2004年に開業しました。

 

幼少期、「山田はあんまの天才や」

施術幼少の頃は3人の男兄弟の末っ子として兄たちの後について空が暗くなるまで外で遊んでいました。

3人兄弟の末っ子なので、割りと人のことを観察する洞察力があったと思います。そう、一番下は世渡り上手で割りとうまくやっていくのです。甘え上手で自由に、今から考えると要領よくやっていました。

またその頃から母の肩や腰のマッサージをして喜んでくれることを、とても嬉しく幸せにかんじていました。

中学の頃のエピソードなのですが、当時の体育の先生というのはで目が合うだけで凍りつくようなそれは恐ろしい存在でした。冬の寒い時期、体育館で授業を受けている時に、その恐ろしい先生が生徒に1人ずつ肩のマッサージをさせるのです。その時に私の順番が来て普段通りにマッサージをすると「山田はあんまの天才や」といわれ、それから何度か指名を受けることになったのです。今振り返れば笑うに笑えない出来事だったかも知れませんがそれが私が治療家そ世界に足を踏み入れる原点だったのかも知れません。元々、運動は得意な方でしたがその時の成績は5を頂いたのを覚えています。

 

トライアスロンで多くを学んだ青春時代

トライアスロン中学、高校とクラブ活動には馴染めず、結局クラブには入ることはありませんでした。

人に指図されたり、意味のないことをさせられるのが嫌いでした。なので団体行動を重んじるクラブ活動は少し苦手でした。

ただ体を動かすことは大好きだったので、高校の時の体育の成績は常に上位でした。

特にこれと言って熱心にするスポーツ種目はありませんでしたが、スポーツクラブに通い体は動かしていました。プールで泳いでいた時に同じレーンで泳いでいた人に声をかけられました。その人がトライアスリートだったのです。トライアスロンは過酷だけれど、練習さえすれば誰でもできるスポーツなんだよと。そこからトライアスロンの練習を始め少しずつ大会に参加するようになったのです。

トライアスロンの練習は私にとってとても楽しいものでした。自分の意思でできるからです。しんどいことをやるのも自分、しないのも自分。誰に命令されるでもない、自分の決めた目標のために練習をして、練習がちゃんとできた分だけ記録が良くなる。そのうち小さい頃は苦手だった団体行動も苦にならないようになっていました。仲間と一緒に何かをする、そこで刺激を受け、成長する。二十歳を過ぎてやっと団体行動の楽しさを理解することができました。トライアスロンのような個人種目でも仲間の存在が重要で、何事も決して1人ではできないということも学んだのです。

 

体を痛め辛い日々に、自分で治すことを決意。そして…

施術その時はゼネコンでサラリーマンとして勤めており仕事が終われば練習という生活でした。

しかし体を酷使したらケアをする、という基本的なことをおろそかにしていたため、私の体に異変が起こるようになりました。そう、腰痛です。短い距離では何ともないが、長い距離を走ったりすると何とも言えない腰のだる痛さが襲ってくるのでした。それが段々と歩いていても痛くなり日常生活にも支障が出だしたのです。

その時に整形外科に診察に行きました。そして、「分離症が元々あり、それが無理をすることにより炎症を引き起こしています。このままだと神経症状がさらに進んで大変なことになりますよ。」と言われたのでした。そう診断されただけで結局何もしてくれず、湿布と痛み止めを大量に持ち帰り途方に暮れたのです。あちこちの整骨院にも通いましたが自分が納得できる治療には出会えませんでした。腰椎牽引もやりましたがやると痛くてよけいに動けなくなります。マッサージはその時は気持ちいいがその時だけでした。そこで自分で治そうと、色々なことを学習しだしたのです。そして自分が実験台となって運動療法やストレッチなどを行いました。すると少しずつ改善していったのです。その時にこんな風に楽になって行くんだ、この痛みにはこのように処置したらいいんんだと答えが出だしたのです。それが段々と楽しくなり人の体を治せる仕事をやりたいなと思い、子供の頃母の肩や腰のマッサージをして喜んでもらえたこと、中学の先生にあんまの天才だと言われたこともフィードバックして、奮起して鍼灸、柔整の学校に進むことを決心し、現在に至ります。

また中年の仲間入りをし、同世代や先輩方の何とも言えない体のしんどさも実感できるようになりました…。もちろんスポーツは定期的に行っているので若い世代の人たちの悩みにも対応できます。

 

モットーは「当院に携わる方、皆様が笑顔になる」

IMG_0293013現在は妻と子ども3人(男、男、女)の5人家族です。子どもと遊ぶことが楽しくて仕方がありません。

現在の趣味はトライアスロンは休養中ですがトレラン(山や野原を走ること)やサイクリングは定期的にやっています。トライアスロンは忙しいからと言い訳して休養中ですが必ず復帰しようと考えています。

ジャンルを問わず読書が好きです。

当院の患者様にも私がロードレーサーの世界をお勧めして乗っている方達がいたり、友人や皆さんとツーリングに出かけることもあります。またトータルボディーケア整体院では春と秋に患者様と一緒にハイキングツアーを行っています。

先生トータルボディーケア整体院のモットーは

患者様はもちろんのこと、患者様のご家族が笑顔になる。当院に携わる方、皆様が笑顔になる、ことです。

そしてその名の通りトータル的にあなたの体を改善していくことです。腰痛、肩こりなどの痛みがきつくて来院した患者様がなぜその痛みに悩まされるようになったのかを様々な手段で導き出し、その方に必要な事は妥協することなく提供して施術をしてまいります。そしてただ受けるだけの施術ではなく、患者様も一緒に考えて納得してゴールを目指します。

 あなたの体を根本的に改善し、あなたが本来の笑顔を取り戻しなりたいあなたになってもらうということです。私の経験したことは今の私にとって大きな財産です。

痛くて痛くて藁にもすがりたい患者様の気持ちも痛いほどわかります。間違ったことに対して助言も指導もできます。どうかあなたを諦めないでください。私たちに任せてみてください。

 

 

スタッフ紹介

毛利 葉子(もうり ようこ)

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≪保有資格≫
日本痩身協会 耳ツボ痩身資格

≪施術歴≫
14年

≪担当施術≫
運動指導、痩身施術、ボディ・トレ施術、ダイエットカウンセリング

 

≪自己紹介≫
初めまして、耳つぼカウンセラーの毛利葉子と申します。

大阪府寝屋川市で生まれ中学時代までそこで育ちました。小学校時代は自分の意見が言えず、体も小さく運動も苦手。夏休みなどは外に遊びに行かず家でゴロゴロしている内気な子でした。

転機は小学校6年生ぐらいです。体の成長とともに少し自分に自信が持てるようになり勇気を出して自分の意見を少し伝えるようになりました。すると周りから理解してもらえるようになり、「私」を表現してもいいんだ!という自信につながりました。中学生時代は好奇心旺盛で、新しいものが大好きで流行りのものを一番に手に入れて喜んでいました!

運動って楽しい!と初めて知ったスキーとの出会いIMG_0552

その後、女子高女子大と進学しましたが、勉強は全然した覚えがありません。(笑)中学校時代に母に連れられて始めたスキーが、運動の苦手な私でもすんなりと滑れたのがきっかけでスキーが大好きになりました。

冬になると長野の山にこもって毎日宿でアルバイトしながらスキーを滑る日々でした!大学2年でSAJ1級に合格し初心者や中高生の修学旅行生に滑り方の指導をしていました。夏も同じ宿でアルバイトをしに長野にいました。

菅平高原は避暑地として人気があり、ラグビーの選手やマラソンの選手が夏合宿に訪れる、とても賑やかなリゾート地なんですよ!最近は子供も成長して雪山に行くことが少なくなりましたが、今年の冬は家族スキーを計画中です!

 

週に一度の大切な時間

7年前に長男と始めたテニスは、結局今私だけが続けていますがなかなかハードなスポーツなんですね!ほぼ1時間走りっぱなしなのでとても良いトレーニングになっています。

残念ながらあまりセンスはないようで球にスピードはありませんが、ボレーが決まった時の爽快感がとても気持ち良いです!肩周りもすごく動かすので終わった後体がとても軽くなっています!

トレーニングとストレス発散を兼ねて週に1回大切な時間になっています。

 

葉子耳つぼ施術

≪コメント≫
私は現在も働きながら3人の子供を育てています。働くお母さんは本当に大変なんです。家事育児を当たり前のようにこなしながら仕事もしっかりと働いて。いつも自分を後回しにしているのに、、、けれどなかなか周りの人に労ってももらえないんです。

そんな女性ならではの悩みや、不安を共感して、体はもちろん心もサポートできればといつも思っています。

身も心も楽になったと、笑顔になったお客さまの顔が何より嬉しい瞬間です。仕事や子育てを頑張る女性を応援するため全力でサポートしていきます!

日本痩身協会のダイエットカウンセラーをしています。

私自身、食事管理、運動管理を徹底しているので子供3人産んだ後も20代の頃の体重をキープしています。

体重が増えてしまって諦めている方に、耳つぼダイエットを通じて自信を取り戻し女性らしくキラキラ輝く人生を過ごしていただくための、第一歩を踏み出していただきたいです!

 

 

 

スタッフ紹介

國佐 翔太(くにさ  しょうた)

≪保有資格≫
鍼師・灸師・体質改善プログラム認定指導員

≪担当施術≫

総合整体、運動指導、体質改善指導、痩身施術、ダイエットカウンセリング

≪自己紹介≫

初めまして國佐と申します。出身地は広島県広島市です。特技はバトントワリングです。知らない方もいらっしゃると思いますが、簡単に言いますと鉄の棒をくるくる回したり、投げてキャッチしたりする競技です!このバトンを6歳から始め18歳まで続け、そのあとは大学でダンスにハマりずっと踊っていました。

全国大会ベスト8位の結果が出たバトントワリング

6歳から始めたバトンは姉が先にやっており、そこから自分もするようになりました。
バトンはほとんどが女の子で男の子は自分を含め、7人ぐらいでした。
毎週土日は9時から17時や9時から21時の練習があり、今思うとよく頑張ったなと思います。

なぜこんなに長い時間の練習かというと、一つの大会でも種目があり8人ほどのチームや40人ぐらいの団体でするものもあり、別の振り付けを覚えて動きを合わせる練習をしなければいけない為です。その大会が夏にあり、終わると次は冬に個人大会があり一人で演技する種目や、バトンを2本使う種目などまた練習量が必要なので毎年このループでやっていました。
バトンの先生は女性の先生で、怒るととても恐かったことを覚えています。自分はメンタルが弱く、先生に演技を見てもらう時はかなり緊張していたので簡単なミスをやらかしては怒られ、萎縮してまた失敗しての繰り返しで地獄のようでした。
今となっては、怒られているうちは花というように自分のために一生懸命して頂いて怒ってくれていたんだなと思うと、とても感謝しています。

高校3年まで12年間頑張って続け、個人大会では全国でベスト8の成績を収めることができ結果がついてきて良かったなと思います!

大学からはバトンから離れ、サークルでダンスを始めました。身体を動かすのは好きだったため、ダンスという新しい世界が新鮮でとても楽しかったです。チームを組んでショーケースに出たり、バトルの大会に出たりと楽しい経験ができました。自分がやっていたダンスはロックダンスです。DA PUMPのメンバーでKENZOさんという方がロックダンスをしていて、めちゃくちゃうまいので興味がありましたら是非youtubeなどで観てみてくだい!かっこよくて好きになると思います。(笑)

最後まで読んでいただきありがとうございます。鍼灸師の技術を活かし皆さんを笑顔にできることにやりがいを感じています。宜しくお願い致します。

 

スタッフ紹介

赤穂 唯(あかほ  ゆい)

≪保有資格≫
整体師・耳つぼ痩身資格・体質改善認定資格

≪担当施術≫

総合整体、運動指導、体質改善指導、痩身施術、ダイエットカウンセリング

≪自己紹介≫

初めまして、赤穂唯と申します。出身は愛媛県松山市、大学卒業まで地元で過ごし、就職後広島を経て憧れの関西に出てきました。3歳から水泳、学生時代はバレーボール、バドミントンと運動三昧、健康優良児でした。幼少期からお世話をするのが大好きで、姉御肌気質。困った時の相談役として慕われていました。今は夫と二人暮らしで、お世話好きが存分に発揮され楽しく主婦業もしています。(笑)こんな性格から『私がいることで安心する、あなたに任せたい』と、頼られるといつも以上に本領を発揮していると気付き、先生と呼ばれる職業を選びました。

私は結婚を機に仕事の捉え方が変わりました。家族が出来た時、手に職が必要と痛感したんです。生きていると、様々な分岐点に直面し、不安になったり、考え直したりしますよね。私もそんな時、昔の私と同じように体型や症状に悩みを持つ方のサポートが出来るこの仕事に出会い、『これだ!』と鐘が鳴った気分でした。

自身が経験しているからこそ理解し寄り添える悩み

高校生の頃、部活の筋トレで筋肉質だったことに加え、間食や受験のストレスで60kgを越える体重になりました。

当時自分の見た目をコンプレックスに感じ、自信がなく、自分を見られるのが億劫でした。

その後大学生で本格的にダイエットや美容に関心を持ちますが、ネット情報を鵜呑みにし、極端で無理なダイエットをし10kg痩せました。

しかし30代を超えた時、体の変化を再度感じるようになります。体が重い、肩が凝る、頭痛もする。酷い時は吐き気もありました。

不規則な食事と生活リズム、日々のストレスが重なり、人生で見たことのない体重を健康診断で目にし驚愕しました。あれだけ自分の身なりを気にしていたのに、太っていることにすら気付くことが出来ておらず、体は悲鳴を上げていました。10代とは脂肪の質も付き方も変わり、過去のダイエット方法も通用しませんでした。

そんなときに耳つぼダイエットと出会い、健康に痩せる仕組みと方法を知り、8kg痩せました。10代の頃のようなリバウンドはありません。

その経験から今は何歳になっても健康で美しくなれること、体の仕組みを深く知りたいと思い、痩身、美容、整体について日々勉強をし、同じ悩みを持つ方のサポートをさせて頂いています。

ここに来て良かった、頼りたいと思ってもらえる対応や施術を行うことで、笑顔を引き出せる人になりたいと日々向き合っています。皆様と関わりを持たせて頂けること、大変嬉しく思っております。皆様を笑顔にし、これからの生活が楽しみになって頂けるよう精一杯努めてまいります!宜しくお願い致します!

 

スタッフ紹介

津秦 悠希(つはた  ゆうき)

≪保有資格≫

整体師・耳つぼ痩身資格・体質改善認定資格

≪担当施術≫

総合整体、運動指導、体質改善指導、痩身施術、ダイエットカウンセリング

≪自己紹介≫

初めまして、津秦悠希と申します。まずはここまで読んでくださり本当にありがとうございます!よければそのまま最後まで止まらず読んでいってください(笑)
出身は和歌山県で紀の川市の山奥で、豊かに泥臭く育ったので丈夫さには心身ともに自信があります。20代前半までは県外に出ることもなく地元の企業に勤めて暮らしていました。特技はバスケットボールで小〜中学生までチームや部活動を。社会人になってからも地元のミニバスケットボールチームの練習に参加したり、体育館を借りては疲れ果てるまで運動するくらい、体を動かす事が好きな人間なんです。もちろん観るのも好きです!アクティブなスポーツだけでなく、格闘ゲームやFPS(シューティング)ゲームなど、所謂eスポーツと呼ばれる遊びも好きだったりします。この辺はバスケと違い上手くありませんが(笑)

家族は母、姉、妹の4人の母子家庭で、女性に囲まれた環境だった為か感覚的には大人しく控え目な性格に落ち着いたと思っています。ただ、そんな環境で暮らしていたおかげもあり、女性や人と話すこと(特に母親世代の奥様方)に抵抗が無くなり、恥ずかしさを覚えることもなく寧ろこれまで勤めてきた職場では自分の数少ない武器として役立っています。そう考えると、男一人で肩身が狭いと感じていたあの頃の自分は、ある意味恵まれていたのかもしれませんね。

 

誰かの役に立つ仕事がしたい!

まだ地元で接客業をしていた時、いつも商品を買いに来てくれていた常連さんの
「膝が痛くてしょうがない」という一言を今でもよく覚えています。その時は深くは考えてはいませんでしたが、痛みを抱えながらも足を運んでくれる人もいるのに、自分はその人自身に何もしてあげることが出来ない。と尾を引くように頭の片隅に残り続けました。
当時の僕は、将来絶対にこういう仕事をしたい!という明確なものがなく「子供が好きだから保育士の勉強をしてみよう」「コミュニケーション能力を向上させたいから、演技の学校で表現力を学ぼう」と言った感じで、好きなこと、得意なことが向上して仕事に成ればいいかなくらいのあっさり感でした。
でも次第に頭の片隅にあったはずの小さな気持ちが徐々に膨らみ、気づけば何をすれば人の役に立てるのかを探すようになりました。そして膨らんだ気持ちが弾けた結果、治療家を志す田舎坊主が誕生しました(笑)

当院を選んで頂いた、あなたに喜んでもらえるために!

そもそも健康的な身体=病気・怪我がない身体ではありません。
病気をしなくても体調を崩してしまう方がいます。怪我がなくても疲労感を強く感じる方がいます。
そのような不透明な状態であっても、患者様に寄り添い原因を取り除いて、トータル的に不安のない日々を過ごして頂くことが治療家としての自分の役目だと思っています。もちろん、その為の努力も惜しまず続けています!
ですから、小さなお悩みでも構いません。ご相談ください!お待ちしております!

 

 

スタッフ紹介

向井 亜樹子(むかい  あきこ)

≪保有資格≫

鍼灸師・看護師・耳つぼ痩身資格

≪担当施術≫

更年期鍼灸、不妊鍼灸、痩身施術、ダイエットカウンセリング

≪自己紹介≫

はじめまして。向井亜樹子と申します。大阪市内で生まれ育ち、結婚してからは城東・鶴見・旭区付近を転々としております。 元々看護師として総合病院の脳外科病棟に勤務していました。忙しい毎日でしたがやりがいを感じ、看護師の仕事は天職だと思っていました。

そんなある日、原因不明の病気を発症、四肢の脱力と筋力低下、思考力と 記憶力の低下などのため日常生活も困難になり、退職することになりました。

少し出歩けるようになったある日、片手に乗るような子ねこに出会い家族として迎えました。その時に「こ の子を必ず幸せにして守り抜く」「この子に楽しい思い出をいっぱい持たせて神様にお返しする」という目標 ができました。守る存在が出来たことで、私の中で何かが変わりました。生への執着が強くなったようです。

心の変化と生活の変化の相乗効果のためか体調は徐々に回復してきました。しかし私の回復と相反するよう に、叔母が ALS という難病を発症。苦しむ叔母を見ながら何もできない自分が悔しくてたまりませんでした。 まもなく叔母が亡くなり、ほどなくして母が指定難病のため近い将来透析が必要と言われたのです。この時ま た私の中で変化が起こりました。二度と後悔したくない、人を癒す力を身につけたい。こうして鍼灸師になる ため専門学校への進学を決めたのでした。

コロナに翻弄された学生生活の中、私は手の麻痺のため手術を受けることになり、これをきっかけに当院の 院長に出会うことが出来ました。

命と向き合う体験

私の父は子供の頃は病弱だったため、健康には人一倍気を遣い、大人になってからは体調を崩して仕事を休むということは一度もなかったようです。そんな健康的な父でしたが、私が中学生の頃に車にはねられ亡くな ってしまいました。これをきっかけに看護師を目指すようになったのだと思います。

その後に起きた阪神淡路大震災では(当時私は西宮に通学しており)、何人もの同級生や先生が亡くなった ことで、命についてさらに深く考えるようになりました。

そして数年後、夢だった看護師になることができましたが、病気により自由に動けなくなり、死を意識する 時期もありました。10年以上の療養生活の最中に(直接的な被害はありませんでしたが)、東日本大震災や 大阪北部地震があり、弱い自分が大切な存在を守る方法を真剣に考えるようになっていったのです。

これらの経験から「生きていること」は当たり前ではなく、健康な身体でも命を失うのは一瞬で、生と死は 実は隣り合わせという当たり前のことに気づいたのです。

私は長年仕事として健康のお手伝いをさせていただいていますが、この頃から「防災」も強く意識するよう になりました。専門家の方々に交じって話し合いをしたり、大学で聴講したり、自分で調べたり。医療につい ても学びが終わることはありません。自由になる時間のほとんどを「命」の勉強に費やしています。

1年後、10年後も健康でいられる生き方をしながら、同時に、今この瞬間に命をなくさないようにするこ とも大切。そのために必要な知識の普及に貢献したいと考えています。 「長生きすること」ではなく「その人らしく命を全力で生ききる」お手伝いがしたいのです。 少し変わった視点を持つセラピストですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

スタッフ紹介

安達 由希子(あだち  ゆきこ)

≪保有資格≫

看護師・耳つぼ痩身資格

≪担当施術≫

骨盤矯正、痩身施術、ダイエットカウンセリング・看護師

≪自己紹介≫

はじめまして、安達由希子と申します。生まれも育ちも京都府舞鶴市で、現在夫と息子、娘、老犬と暮らしています。
幼少期の私は「天真爛漫」、誰からもこれしか言われた記憶がないです。両親共働きで鍵っ子だったので、よく弟の面倒をみていました。

動物が大好きで実家では犬やうさぎなど色々飼っていました。両親は仕事で忙しい中、習い事も沢山経験させてくれて、ピアノ、スイミング、テニス、琴など。すぐやめてしまったものもありますが、唯一10年近く習った琴は礼儀作法に厳しかった為経験してよかったなと思っています。

成人してからは看護師の母の影響もあり看護師として働いていましたが、興味のある事にどんどん挑戦したい性格なので、一度本当に好きな事をやってみたいと一念発起し大阪にあるトリマー養成学校へ進学。大阪市内や芦屋市のトリミングサロンで働き、毎日大好きな犬達に癒されていました。その後、結婚出産を経て、地元に戻りすぐ仕事復帰しましたが、子育てをしながら、担当を持つ代わりのきかないサービス業を続けていく難しさを痛感し、ブランクを抱えて看護師に復帰。夜勤のない総合病院の外来やクリニックで働いていました。

この仕事を選んだ理由

体重が増える原因は人それぞれです。私は元々太りやすく体重の増減が激しいタイプでしたが、子育てと両立しながら当たり前のように残業がある職場で毎日10時間近く働き、夜も遅くヘトヘトでした。忙しくて身体が興奮状態で眠れない日も続き、早く眠る為に早食いしビールを呑んで寝るという日々でした。

ストレスで心も身体もボロボロになったとき、トータルボディーケアステーションに出会いました。
ただ痩せたい!というより、この生活を変えたい、頑張った自分にご褒美をあげたいという気持ちが強かったように思います。「不摂生は悪」という後ろめたい気持ちがありましたが、先生方は抱える悩みやどう変わりたいか全て受け入れ背中を押してくれました。

何より前向きな気持ちになれた事が1番です。きっと私のように、不摂生から抜け出したいけど抜け出せない、変わりたいけど変われないという方は沢山おられると思います。
経験して成功した事、失敗談などお伝えし、心も身体も健康になる方が1人でも増えるよう、今度は私が背中を押させていただきます。

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